「信州霧ケ峰沢渡通信・皆さまからの便り」

                                                                        ■報告復活第4回霧ヶ峰山の会 (PDF:148kb)

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信州霧ケ峰の山小屋     渡辺徹さん

2018/03/06 投稿

  人は誰もそれぞれ独特の感性を持って生まれてきているものです。自分の感性がどんなものか自分で分かっている方、まだそれを知らない方もいるのです。

  歌を聞いて、それが初めて聴いた歌なのに、すぐそれを覚えていまう歌。一度聴いた曲なのに、いつまでも心に残る曲。初めて見た絵なのに、引き込まれて見入ってしまう絵。映画を見て涙をそそり、何度見ても同じシーンで涙が流れてしまう映画。初めて会話を交わした人なのに、どんどん会話が弾んでしまう方。それらが貴方の感性の特徴で、貴方の性格の基体をなすものです。感性をそそるその作品が、多くの方々にも共通に感動を与えるものであれば、それが名歌であり、名曲であり、名画であり、それが人徳のある方なのでしょう。

  山も同じです。多くの方々に愛される山が名山です。山小屋も同じです。初めて訪ねた瞬間、自分の感性に触れる山小屋があるものです。私にとってヒュッテ・ジャヴェルがそんな山小屋です。単に山歩きの途中で泊まった山小屋ではなく、重い山靴を脱ぎ、スリッパで中へ入ると、南西に向いた広いガラス戸から入る日の光で明るくされた広い食堂があり、その食堂の奥に床が鉄平石が敷かれ、レンガ造りの暖炉のあるサロンにグランドピアノが置かれてある。それを見た途端、山小屋というより、ドイツ語のヒュッテ(Hütte)と呼ぶにふさわしいたたずまいに、日ごろの職場や家での生活の場から、飛行機に乗らずに、和風であるにもかかわらずヨーロッパアルプスのHütteに来た思いになる。そんなたたずまいのヒュッテがわたしの感性に合い、しばしば訪れ、また友人を誘って訪れています。もう何人誘ったことだろう。彼らは一様に感動し、必ずまた訪ねると言う。

  私とヒュッテとの衝撃的な出会いについて書きはじめると長くなるのでこの辺で止めにしましょう。

 渡辺 徹 厚木市(自称里山市)在住

   (厚木基地は厚木市にはないのです。厚木基地は厚木市のはずれの相模川の向こうの海老名市のさらに向こうの綾瀬市と大和市にまたがってあるのです。だから私は厚木市を相模大山の麓の「里山市」と呼びたいのです。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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51年振りのヒュッテ・ジャヴェル 高橋進さん

2013/09/01 投稿

先週の3連休を利用して、私と家内と私の友人夫婦の4人で、ヒュッテ・ジャヴェルを探しながらお伺いし、事前にお願いをしていましたジャーマンピッツアを2種類各2枚を我々男はジャーマンビヤーと共に大変美味しく頂きました。丁度満腹になる量でした。

 

私は現在68歳ですが、何と今から51年前の17歳の時に、このヒュッテ・ジャヴェルに泊まっているのです。当時私は大阪の府立東住吉高校の2年生でしたが、当時の堀江駒太郎校長の方針で、修学旅行でこの霧ヶ峰に、確か3泊4日位で、内1泊がヒュッテジャヴェルでした。 

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霧ヶ峰とヒュッテ・ジャヴェル 高田太久吉(たかだたくよし)さん

2012/12/01 投稿

車山の中腹に友人と相談して小さな山小屋を建てたのは1980年代初めのことである。それ以前は、毎年夏になると、リュックに本を詰めて乗鞍岳の長野県側にある番所にでかけ、農家の一部屋に間借りし、夏の間本を読んで過ごした。

 

しかし、大学院を終えて東京の大学で教鞭を執るようになり、結婚して子供ができると、農家に間借りというわけにはいかなくなった。二夏ほどは東北の湯治場で過ごしたこともあったが、やがて親友の一人が車山の別荘地の情報を持ち込んできたので、相談のうえ山小屋を建てることにした。

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霧が峰によせて 上野真一郎さん

2011/05/10 投稿

 昨年の秋のことです。霧が峰高原の北側にある本沢に林道が造られました。そこは、あの田部重治が昭和5年に歩いて紀行『峠と高原』にも記したコースです。その林道が造られる以前、私は、何度かその美しい渓に足を運んでいました。

 

霧が峰には、ビーナスラインが造られる以前に、下から高原に歩いて上がる道が行く筋もありました。それらの道の多くは、今では歩く人も稀になり廃れていますが、そんな廃道の中でも秀逸なのが、この本沢道でした。

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霧ケ峰、ジャヴェル、そして私 沢田裕広さん

2010/04/01 投稿

 四季を通して霧ケ峰に出かけるようになったのはいつの頃からだったろうか。奥多摩の山々を自らのフィールドとして歩き回っていた頃に仕事の帰りによく立ち寄る本屋で「アルプ」を見つけた。ちょっと贅沢に上質紙を使い、中身といえば山のことばかりである。

 

しかも広告がひとつもない、なんともユニークな月刊誌であった。尾崎喜八、串田孫一の名前に出会い、辻まこと、畦地梅太郎の存在を知った。そして尾崎喜八の作品の中にジャヴェルという言葉を見つけたが、同名のヒュッテが霧ケ峰にあろうとは露知らないことであった。

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霧ガ峰春秋 伊藤万吉さん

2010/01/01 投稿

春から秋にかけての何度かを私は郷里諏訪を訪れます。 便利になった現在は車を霧ガ峰へと向け、高橋夫妻の守るヒュッテ ジャヴェルへも顔を出します。そして春と秋親しい友を誘ってジャヴェルの音楽会に出かけます。

 

 子供の頃の霧ガ峰は近くて遠い所でした。 小学生時代の遠足で高原を歩いたのですが、疲れ果てたこと。年輩の教頭先生が体に効くと言ってサンショウウオを丸呑みにした光景だけが記憶に残っています。

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孫たちの霧ヶ峰川上嘉彦さん

2009/08/01 投稿

「もう自由には登れない。かつて歩きまわった想い出の山へ、愛する家族を画面のなかでつれて行こう。 だから、妻は若く、子供たちは幼い」

 これは、数年前にヒュッテ ジャヴェルの「霧ヶ峰 山の會」で紹介されていた、山をこよなく愛した版画家畦地梅太郎の言葉です。

 

一昨年前に大病を患った私も、「もう山には登れない」と感じはじめていました。そんな折、ヒュッテ ジャヴェルの高橋保夫さんの言葉が、その後の山との付き合いかたのヒントを与えてくれました。

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