「信州霧ケ峰沢渡通信・皆さまからの便り」

                                                                        ■報告復活第4回霧ヶ峰山の会 (PDF:148kb)

51年振りのヒュッテ・ジャヴェル 高橋進さん

2013/09/01 投稿

先週の3連休を利用して、私と家内と私の友人夫婦の4人で、ヒュッテ・ジャヴェルを探しながらお伺いし、事前にお願いをしていましたジャーマンピッツアを2種類各2枚を我々男はジャーマンビヤーと共に大変美味しく頂きました。丁度満腹になる量でした。

 

私は現在68歳ですが、何と今から51年前の17歳の時に、このヒュッテ・ジャヴェルに泊まっているのです。当時私は大阪の府立東住吉高校の2年生でしたが、当時の堀江駒太郎校長の方針で、修学旅行でこの霧ヶ峰に、確か3泊4日位で、内1泊がヒュッテジャヴェルでした。 

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霧ヶ峰とヒュッテ・ジャヴェル 高田太久吉(たかだたくよし)さん

2012/12/01 投稿

車山の中腹に友人と相談して小さな山小屋を建てたのは1980年代初めのことである。それ以前は、毎年夏になると、リュックに本を詰めて乗鞍岳の長野県側にある番所にでかけ、農家の一部屋に間借りし、夏の間本を読んで過ごした。

 

しかし、大学院を終えて東京の大学で教鞭を執るようになり、結婚して子供ができると、農家に間借りというわけにはいかなくなった。二夏ほどは東北の湯治場で過ごしたこともあったが、やがて親友の一人が車山の別荘地の情報を持ち込んできたので、相談のうえ山小屋を建てることにした。

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霧が峰によせて 上野真一郎さん

2011/05/10 投稿

 昨年の秋のことです。霧が峰高原の北側にある本沢に林道が造られました。そこは、あの田部重治が昭和5年に歩いて紀行『峠と高原』にも記したコースです。その林道が造られる以前、私は、何度かその美しい渓に足を運んでいました。

 

霧が峰には、ビーナスラインが造られる以前に、下から高原に歩いて上がる道が行く筋もありました。それらの道の多くは、今では歩く人も稀になり廃れていますが、そんな廃道の中でも秀逸なのが、この本沢道でした。

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霧ケ峰、ジャヴェル、そして私 沢田裕広さん

2010/04/01 投稿

 四季を通して霧ケ峰に出かけるようになったのはいつの頃からだったろうか。奥多摩の山々を自らのフィールドとして歩き回っていた頃に仕事の帰りによく立ち寄る本屋で「アルプ」を見つけた。ちょっと贅沢に上質紙を使い、中身といえば山のことばかりである。

 

しかも広告がひとつもない、なんともユニークな月刊誌であった。尾崎喜八、串田孫一の名前に出会い、辻まこと、畦地梅太郎の存在を知った。そして尾崎喜八の作品の中にジャヴェルという言葉を見つけたが、同名のヒュッテが霧ケ峰にあろうとは露知らないことであった。

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霧ガ峰春秋 伊藤万吉さん

2010/01/01 投稿

春から秋にかけての何度かを私は郷里諏訪を訪れます。 便利になった現在は車を霧ガ峰へと向け、高橋夫妻の守るヒュッテ ジャヴェルへも顔を出します。そして春と秋親しい友を誘ってジャヴェルの音楽会に出かけます。

 

 子供の頃の霧ガ峰は近くて遠い所でした。 小学生時代の遠足で高原を歩いたのですが、疲れ果てたこと。年輩の教頭先生が体に効くと言ってサンショウウオを丸呑みにした光景だけが記憶に残っています。

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孫たちの霧ヶ峰川上嘉彦さん

2009/08/01 投稿

「もう自由には登れない。かつて歩きまわった想い出の山へ、愛する家族を画面のなかでつれて行こう。 だから、妻は若く、子供たちは幼い」

 これは、数年前にヒュッテ ジャヴェルの「霧ヶ峰 山の會」で紹介されていた、山をこよなく愛した版画家畦地梅太郎の言葉です。

 

一昨年前に大病を患った私も、「もう山には登れない」と感じはじめていました。そんな折、ヒュッテ ジャヴェルの高橋保夫さんの言葉が、その後の山との付き合いかたのヒントを与えてくれました。

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